鱒(ます)
「鱒」と聞いて、私が真っ先に頭に浮かべるのは富山の鱒寿司です。父の故郷が富山なのもあるでしょう。しかしながら、法事などでうっかり頼むと大変な事になります。各家庭の贔屓があるので〇〇家の贔屓のをとって、うちの贔屓のはとらんちゃぁ、となってしまいます(笑)
さて、シューベルトの「鱒」という曲があります。BGMや電話のお待たせメロディ、スマホの着信音など、多分タイトルを知らなくても一度は耳にしている曲です。
先日、大変久しぶりに友人の声楽のコンサートに行きましたら、「鱒」を歌う方がいました。声楽のコンサートに行くたびに、あぁなんでドイツ語をしっかり勉強しなかったのかなーとトホホな気分になります。「鱒」は軽快なメロディには少し合わないような歌詞です。
綺麗な小川を魚が泳ぐ様の後、漁師が罠を仕掛けて鱒を釣り上げてしまうのです。その様子に頭にきたんだ!と歌っているのです。
しかしそれは裏のメッセージがあって、青春を謳歌しているお嬢さん、チャラ男に気をつけるんだよ!と言う意味があるのです(「鱒」のメロディが、チャンチャンチャーン、チャンチャンチャラ男だよー、と聴こえてしまいます)。お嬢さんばかりでなく、各種詐欺がいろいろあります。
熱中症が騒がれるようになると、離れた子ども達が時々母を心配して電話をかけてくるのですが、母が嬉しくて「〇〇ちゃんかなー」と言うと「ほら、そうやって自分から孫の名前出したらダメ」と叱られるそうですよ。
澄んだ小川をスイスイと進む鱒を捕らえるには、わざと水をかき混ぜて濁らす、すると鱒が面白いように釣れる、とシューベルトの「鱒」が教えてくれています。
振り込め詐欺もそうですが、アヤシイ宗教団体など、まさにこれだなぁと思います。その宗教にどんなにお金を積んでも「徳」にはなりません。その宗教が「得」をするだけです。
本物の教えは、わざと心を掻き乱し濁したりしません。私達の心の奥底が濁っていてもいいんです。濁ったままでいいよ、心配いらないよ、と仰る仏様の教えが、本物の教えです。