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蓮如上人御一代記聞書36
「四海の信心の人」

蓮如上人は8代目のご門主だったね。中世の社会では、僧侶は貴族と並ぶ上流階級。その中でも一教団のトップだから、いわゆる平民の僕たちとは本来なら話をすることはおろか、お顔を拝することだって難しいはずだったんだけど、蓮如上人はどんな人とも対等に同座し、お話されたよ。
そのわけをたずねたら、こうおっしゃったんだ。

聖人(親鸞)の仰せにも、四海の信心の人はみな兄弟と仰せられたれば、われもその御ことばのごとくなり

四海というのは、仏教の世界観、須弥山(しゅみせん)をとりまく四方の海ということで、全世界という意味だよ。すべての世界の信心の人はみな兄弟であると親鸞聖人が仰せになっているので、わたしもそのお言葉の通りにするのだとおっしゃったんだ。
続けて、「膝を交えて座っていればこそ、遠慮なく疑問に思うことを尋ねられるだろう。私はただ、しっかりと信心を得てほしいと願うばかりだよ」と言われたよ。立場や身分などよりも、信心をいただくことひとつを大事にされていた蓮如上人の価値観、考え方がよくわかるおことばだね。
物の見方、考え方はいろいろあるけれど、人間の見方と仏様の見方には大きな違いがある。身分がどうこう、上だの下だの言うのは人間の見方。対してどんな人も平等に見るのが仏様の見方。仏様にとっては、貴族も僧侶も平民も、さらには犬や猫といった動物だって、命のあるものはすべて「迷いの衆生」というひとくくりなの。すべて助けてやりたい、救ってやりたい相手なんだ。
そしてその平等感は、自分と衆生の間にも成り立っている。どうにもならない僕たちを見ながら、「だめな奴だ」と見下したりせず、「私に力がないばかりに苦労させて申し訳ない」と、頭を下げていらっしゃる。どうか我が名を称えておくれと、私のところまで降りてきて、いつも肩を抱いて一緒に泣いてくださっているんだよ。
その仏様の見方を体現してくれたのが、蓮如上人の「同座で法を説く」お姿なんだ。そうまでしてお伝えくださった仏様のお話、大切に聞かせてもらおうね。

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