1. HOME
  2. 仏教コラム
  3. いつもと同じ秋

いつもと同じ秋

 わぁ!いい匂い!と思った瞬間涙が滲みました。
 今年、3年ぶりに報恩講のお斎作りを復活しました。遠方からの御講師の先生には前日からこちらにいらして頂きました。ご挨拶を済ませてお台所に戻りましたら、婦人会の方々がお斎の仕込みをしてくださっていました。
 ああ、これぞ報恩講の薫り、お煮しめの昆布と椎茸のマリアージュ!その薫りもずっとお台所にいるとわからないのです。少し離れて戻ると、鼻の奥から幸せな薫りが身体を駆け巡ります。鼻は涙の下水道ですから、涙が出るのも仕方ない⁉︎
 我が家の子ども達も、小学校から帰ると「あー、今日はこの日だったね!」とよく言っていたなぁ、きっとこの薫りが『この日』だったんだな、と思いながら、またお斎作りの輪に戻りました。
 お斎仕込みも、その日の為に体調や予定を調整してくださった方々が集まってくださいましたし、前日からやや涙腺緩めでしたから、報恩講当日は、御講師の富山弁法話に更にいろいろな思い出が重なりました。
 ニ席終わり、お礼を申し上げながら、涙が出るわ出るわ、コロナ禍故のマスクがこんなに有難いと思った事はありませんでした。
 先生の暖かみのある富山弁がお説教の間にホロホロと出る様に、いつも孫を温かな眼差しで包む、富山育ちの祖母を思い返しました。
 ご法義どころに加えて生家もご法義に篤い家庭で育った祖母は、報恩講が大好きでした。報恩講や富山の話の時は顔いっぱいの笑顔になりました。祖母は、更にご法義に篤い自分の両親の話が唯一の自慢でありました。祖母はそれ以外の自慢話はせず、沢山の苦労があったはずなのですが愚痴を言わず、いつもお念仏が口から溢れていました。親鸞さまへの報恩感謝の想いが、報恩講の時期だけでなく常日頃からあったのだと思います。
 私は、というと、なかなか祖母のようにお念仏が溢れてはきませんが、せめて実りの秋を『おみのりの秋』にしていきたいなぁ、と、「いつもと同じ」報恩講の秋になった事を噛みしめています。

関連記事