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親鸞聖人ただひとり

 日頃、拝読する機会の多い親鸞聖人の著作ですがご真筆を目にすることはほとんどありません。
 この度、京都で開催された「親鸞展」には多くの宝物が展示され、貴重な典籍を目にすることが出来ました。このような展示には仏像が多く配されますが、今回は著作物が多く集められました。蓮如上人や覚如上人のご真筆には様々な驚きや発見があり、手にとって見ることの出来ないもどかしさを感じながら、数百年の間、散逸せずに護っていただいた先人方の苦労を思わずにはおれませんでした。
 さて、親鸞聖人の文字の特徴は流麗な筆致とは違い、少し荒々しい印象は以前からありました。
 また、行間や裏面まで埋め尽くすように注釈が記されているものなどを見ると聖人の尽きることのない探求心が表されているようでした。それは、一度に書かれたものではなく、時を経てからさらに書き加えらた様子が見られました。幾重にも重ねて描かれる油絵のようです。
 ご存知のように親鸞聖人は六十歳を過ぎて京都にお帰りになられましたが、最晩年に到るまで多くの著作と写本を遺されました。その代表は三帖和讃であり、毎朝お晨朝で私たちが親しむことができるお聖教です。
 さて、その展示の中で驚きとともに拝見したのが、親鸞聖人が京都から関東の門弟に宛てたお手紙(ご消息)の一通でした。
 長いお手紙が誠に丁寧な文字で綴られていました。大変失礼ながらそれまでの親鸞聖人の荒々しい筆致の印象とは大きく異なっていました。その内容はご法義の肝要な部分を難しくならないように丁寧に示されているものでした。ご門弟を想いながら筆を進める聖人のお姿が浮かび上がるようでした。
 その手紙が八百年近く後に後世の多くに人の目に触れることを親鸞聖人ご自身もきっと不思議に思われることだろうなあ、と深く思ったことでした。
 歴史上の偉人は多くても今も生き続けて働き続けておられる方は親鸞聖人ただひとりであることを感ぜずにおれませんでした。

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