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拯済のこころ

 寒かった冬も終わりを告げ、いよいよ桜の開花が訪れました。コロナ禍にあっても桜の開花は待ち遠しく、多くの人を明るい気持ちにしてくれます。
 さて、そのような気分を揺らすように、先日の夜半に大きな地震が発生しました。同じ三月でもあり、すぐに東日本大震災の惨状が思い出されました。あの圧倒的な津波の恐ろしさに世の中の人たちは戦慄しました。行方不明者の多くが津波による水難によるもので、連日海中の捜索が続きました。十一年経った今でも家族の遺品を探し続けている方があると聞くと胸が締め付けられる思いです。
 さて、親鸞聖人は「正信偈」に「拯済(じょうさい)」とお示しくださっています。「拯」とは水に溺れて苦しんでいる人を、両手を差し出してすくい上げる、という意味です。「済」とは等しいということです。救う側と救われる側が等しいということは、救う側が安全なところにいて、救われる側を自分と同じ安全な場所に救済することをいいます。ですから、悩み苦しむ私たちを救って、仏さまと同じ安全で安らかなお浄土にお迎えする、という意味なのです。
 そこには、阿弥陀如来が娑婆世界で苦しむ私たちを救いたいと願われ続ける姿があるのです。
 人は一生の間に様々なことが起ります。楽しみも辛さも織り交ぜての人生です。良いことだけ、楽しいことだけを求めることが自分の人生であると思っても、そのように思い続けて一生を終えることはできません。
 救われる側に私がいたと気づくことはそれまでの価値観が大きく転換することです。まさに溺れて苦しんでいる私を、両手を差し出してすくい上げていただく姿です。それが阿弥陀如来の本願の救いであると心より喜べる私でありたいと思います。

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