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聞くに休みなし

 自らの身体が様々に機能することを特別に感じることなく毎日過ごしています。手が動くことも足が動くこともあたり前に思っていますが、いざ動かなくなってみると、その凄さと有難さを実感せずには居られなくなります。
 さて、その機能も自分でコントロールできるものと出来ないものがあります。心臓の働きは自分の意思で止めたり動かしたりはできません。
 しかし、目は閉じれば見ることは出来ませんし、口も閉じれば話すことができません。自らの意思で動かすことが可能です。
 でも、耳は閉じたり、開いたりすることは出来ません。なぜなのでしょうか。耳は夜、身体を休めているときにも危険を察知するため、とも言われています。つまり、聞くという機能は休みなし、ということなのです。
 「百聞は一見に如かず」という諺があります。確かにその通りだと思います。そのことを仏法に照らしてみてみますと、「見る」はすぐに結果となり、「聞く」は結果につながる過程なのではないかと思います。
 学生時代、数学はあまり得意ではありませんでしたが、証明問題だけは好きだったことが思い出されます。問題には必ず問いと答えがありますが、答えさえ正しければその過程は問わない、ということはありません。正しい答えをどのように導き出すかも問われているのです。
 浄土真宗では「聞く」ことの大切さを重ねて示されているのは、その過程をきちんと聞き重ねていくことが肝要であるとされているからなのです。
 親鸞聖人は「聞く」ことと「信心」の関係をとても大切にされました。
 それは信心を得るために聞くのでもなく、聞いた結果として信心をいただくのでもない、と示されています。「聞」と「信」が共に大切であることからそれぞれが等しい関係にあるとされています。
 それを「聞即信」であると示していただきました。
 聞くに休みなく、聴聞をよろこばせていただきたいと思います。

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