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リモートレッスンの傍で

 「その尺八の角度と唇の形じゃ音出すの難しいよー」と、尺八吹けない私でもわかるダメぶりに大笑いしました。
 いつも義父母や母と離れている孫たちをテレビ電話で繋ぐのですが、その日は京都の三男が、以前義父に譲られた尺八を吹いてみると言ったのです。運指表はネットで出せる時代、楽勝だぜ、と帰洛時お気楽に持ち帰りました。義父は私よりも更にもどかしくなり、尺八を持ち出してきて、図らずもリモートレッスンとなりました。民謡会主の義父も、コロナ禍でお稽古中断ですから楽しかったようで、義父の指導で尺八らしい音が出るようになった三男でした。
 ふと、三男が産まれた時の事を思い出しました。五月の終わりでしたから、産院の裏の林での鶯の親子の鳴き方指導を聴けるプレミアム付き。子がケキョケキョと鳴くと親鳥がいい声でホーホケキョウと鳴くのを繰り返していました。子が親鳥よりオクターブ高く細い声でホーホケキョウと綺麗に歌えた時は、同室の産婦全員が拍手を送ったのです(以前の坊守日記に書いたかも)。
 産まれた子を何があってもしっかり育てなさいよ、お前は人間なんだから、人間らしい子に育てなさいよ、私は鶯としてちゃんと歌える子に育てているよ、と、鶯に教えられた気がしました。
 尺八が吹けない私は、三男を笑うだけでしたが、師である義父は、三男を吹けるようにと導く事ができました。思い返せば私の習い事の師は皆、それぞれ厳しくもありましたが、その習い事を離れてもまたやりたくなるような楽しみも同時に与えてくれました。学校での師はその時の年齢に合わせて教え導いてくださいましたし、特に専門分野の学問においては、離れてからも錆びつかせないコツをきっちり指導してくださいました。改めて私は出遭った師に恵まれていたなぁと感謝しかありません。
 そして『生き方』の師である親鸞さまに出遭えた事は、何よりの事であったと思います。生家がたまたま浄土真宗であっただけでなく、目に見えない沢山のご縁で親鸞さまに出遭えたのだなぁ、と、リモートレッスンのカメラマンをつとめながら感じ入りました。

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