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疫癘(えきれい)の御文章

 以前、京都出張の際に寝過ごして新大阪まで行ってしまったことがありました。大変慌てましたが、すぐに折返しの列車に乗り、事なきを得ました。目的があって新幹線に乗っているのですから、着きさえすれば、どこの駅でも構わない、というわけにはいきません。
 さて、蓮如上人の時代にも疫病(伝染病)が蔓延して多くの人々が亡くなりました。疫病平癒のための法要を行ったり、「延徳」から「明応」へと改元も行われたそうです。
 そのような時に人々は「善人」であっても「悪人」であっても、もし疫病に冒されれば死んでゆかねばならない、それは自業自得の道理から外れ、極楽に往くこともできなのではないか、という不安の声が大きくなっていったといいます。
 やはり、善因善果、悪因苦果という「善い人」「悪い人」の概念は根強く弘まっていたわけです。
 そこで蓮如上人は
「近ごろ、多くの人が伝染病にかかって命を落としている。しかし、人間というものは、伝染病にかかって初めて死んでいくのではない。人間は生まれたときから必ず死んでいく命を生きているのであり、それが定めというものである。(中略)このようなときこそ、いよいよ阿弥陀さまを深くたのんで、極楽浄土にうまれかわることができると思いとって、一向一心に阿弥陀さまを尊び、寝ても覚めても南無阿弥陀仏、なむあみだぶつと称えるお念仏は、私たちを必ずすくい摂ってくださる御ありがたさ、御うれしさを申し上げる 御礼のこころなのである。これをすなわち仏恩報謝の念仏というのである。あなかしこ、あなかしこ。 延徳四年六月」
という、お手紙(御文章)をもって私たちの命のありようと阿弥陀様に願われている身であること、そして自分たちが往く場所を示されました。
 これは「疫癘(えきれい)の御文章」として今日まで大切にされています。
 現代の私たちは年齢や亡くなり方には深くこだわりますが、行き先については深く考えを及ぼしません。
 行き先こそ大切なのです。
 どこの駅で降りるのかを降りるときに考えるわけにはいかないのですから。

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