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蓮如上人御一代記聞書7
「ききわけて、え信ぜぬもの」


ある方が、蓮如上人にたずねられたよ。

「『他力の救いを長い間わが身に受けながら、役に立たない自力に執着して、むなしく迷いの世界をめぐり続けてきた』というのが、どうもわかりません。」

この文は、「安心決定鈔」という書物のことばだよ。この書は、誰が書いたものかわからないんだけど、蓮如上人はとても大切にされていて、「黄金を掘り出すような聖教である」と絶賛されていたものなんだ。上人がご法話の中でこのことばをひかれ、それを聞いていた方から質問があったんじゃないかな。

これに対して上人は、「ききわけてえ信ぜぬもののことなり」つまり、「他力の救いを頭で理解しただけで、信じることのできないものをいうのだよ」とおっしゃったんだ。なかなか厳しい言葉だね。

僕たちは、この世に生まれたときから人生が始まったと思っているけど、実はそんなことはないの。過去に何生も何生も人生を繰り返してきているんだ。その間、ずっと迷いと苦しみを繰り返してきた。その姿を見て、あわれだなあと立ち上がられたのが阿弥陀様なんだ。そしてずっと私に願いをかけつづけ、十劫もの間待ち続けに待っておられるの。

その願いが届き、僕たちはあるとき菩提心、つまり仏になりたいという思いを持ったこともあったんだって。でもね、自分の力で仏に成ろうという心を捨てられず、今もこうして迷い続けている。このことを親鸞聖人は正像末和讃に、「自力の菩提かなはねば 久遠劫より流転せり」と説かれているよ。

自力の心というのは、阿弥陀様の本願を疑い、自分の修めた善根によって浄土に往生しようとする心だよ。この心は、僕たちの中にしぶとくいつづけていて、なかなかなくなってくれない。阿弥陀様の救いはこういうものでないかと考えて、理解して、納得して救われようとするのが、もう阿弥陀様を疑っていること、自力のはからいなんだ。この心を振り捨てて、「お前を救う」の阿弥陀様の呼び声をただ聞くことが、上人のおっしゃる「他力の救いを信じる」ということなんだ。

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