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痛みの向こうに

 正式名称「肩関節周囲炎」。広く一般には「五十肩」と呼ばれています。上着も自分で着ることができない、歯を磨くのも難儀している、と先日友人からメールが来ました。ならない人もあるでしょうが、多くの方がこの痛み、辛さを経験しています。一年苦しむ人もあれば二年かかる人もあります。
 ところが、ある日、何ごとも無かったように痛みから解放されるそうです。肩は関節の中で一番可動する場所なのだそうです。その自由を奪われて代わりに痛みが伴うのはなぜか。医学が発達している今日でもその原因は解明されていません。
 これを仏さまが解明するとどうなるか。日頃、動くことがあたりまえと考えている身体の一部を少しの間、その動きを止めてその本来の有難さに気付かせるための試練、ということになるのではないでしょうか。
 身体のなかで一番器用に動くのが手です。手そのものが動かなくなってしまっては、日暮しが成り立ちません。そこで、その手のつけ根である肩に痛みを与えた、と考えるとその痛みに大きな導きがあったことになります。
 私たちは、なにかの災いがあると、その原因を考え、つぎにそのような災禍に出会わない方策ばかりに目を向けたがります。娑婆世界の処世術ではありますが、それでよいのでしょうか。出来てあたりまえ、あってあたりまえに浸かりきってしまうと、感謝が遠のきます。感謝のない生き方は他の声に耳を傾けなくなります。それは、驕慢な生き方です。
 親鸞聖人は正信偈に「邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難」(自らの正当性ばかりを主張する心を持つものは、阿弥陀さまのお救いを聞き信じることは絶対に不可能なことである)とお示しくださっております。
 やがて私にも辛い痛みの時が到来したとき、その向こうに何が見えてくるのか。
 真実の眼(まなこ)が曇ることがないことを念じるばかりです。

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