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蓮如上人御一代記聞書33
「機のあつかひ」

親鸞聖人はたくさんの書物を残してくださったけど、時々どう読んだらいいのか、どう理解したらいいのか悩んでしまうような文章があるよ。たとえば、こんなお言葉。

愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず

愛欲とは性的な愛のことで、名利とは名声と利得のこと。定聚の数に入るとは、仏になる身と定まることだよ。親鸞聖人が自身を省みて、
「私は愛欲の広い海に沈み名利の深い山に迷い、本来喜ぶべき必ず仏になる身と定まったことを喜びもしていない」
と告白されている文章なんだ。
これ、よく考えると大変なことを書かれているの。だって浄土真宗は阿弥陀仏の救いを喜ぶ教えでしょ。仏になれるというのに、それを喜んでもいないって言ってるんだから。
蓮如上人のお弟子さんたちの中でも、どういうことかって議論が起こったよ。「愛欲に沈み名利に迷う身で、往生できるのだろうか」「往生できないのではないか」ってね。
その議論をお聞きになった蓮如上人は、こうおっしゃったよ。

愛欲も名利もみな煩悩なり、されば機のあつかひをするは雑修なり。ただ信ずるほかは別のことなし

つまり、「愛欲も名利もみなわが身にそなわった煩悩だぞ。わが身の上をあれこれ心配するのは、雑修、つまり自力の心が離れていないということになる。ただ弥陀を信じておまかせする他に何もいらないんだよ」とね。
阿弥陀様の教えを聞き始めると、自身の罪や悪が見えてくるね。自分の姿を知ることは仏法の入り口としてとても大切なことなんだけど、そこでとどまってはいけないんだ。この罪と悪にまみれた私にかけられた阿弥陀様の願いを聞いていかなきゃいけない。どうしようもない私にさっさと見切りをつけて、阿弥陀様の救いに身を投げお任せすること、それこそが大事なことなんだ。

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