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蓮如上人御一代記聞書43
「他力の安心(あんじん)」

 ある時、蓮如上人はこう仰ったよ。

聖教(しょうぎょう)をよくおぼえたりとも、他力の安心(あんじん)をしかと決定(けつじょう)なくはいたづらごとなり

 聖教とは、お経のことばや親鸞聖人をはじめとする先達たちの書かれた書物のおことば。つまり、「お経や先達のおことばを十分に学び覚えたとしても、他力の安心を決定しなければ無意味なことだぞ」と仰ったわけさ。
 たとえば、「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」ということばがあるね。歎異抄という有名な書物に書かれたことばで知ってる人も多いと思うよ。「善人でさえ往生するのだから、まして悪人なら往生することは間違いがない」という、え、逆じゃないの?と驚くような文章だね。でもそこには浄土真宗のみ教えの大切な部分が詰まっている。
 善が行えない悪人を目当てにたてられた阿弥陀仏の本願とか、いつになっても善人意識が抜けずに迷い続けている僕たちの姿とか。でもそれを知らずに字面だけで理解すると、「悪人が往生できるならいまのままでいいんだ」とか「もっと悪いことしてもいいんだ」とか、本来の教えと違う方向に行ってしまうことがある。これが蓮如上人の仰る「いたづらごと」、無意味どころか害にすらなってしまうってことなんだ。
 では、他力の安心って何なんだろう。阿弥陀様のお心を知って頭をさげ、すべてをおまかせすること、これが他力の信心だよ。阿弥陀様は、いつもいつも僕たちのことを心配して立ち続けてくださっている。そして、仏の教えに耳をかさずに私利私欲にまみれて地獄に落ちていく僕たちの姿を見ながら、涙を流されているんだ。そのお心を知ったなら、「もっと悪いことしよう」なんて、口が裂けても言えないよね。
 蓮如上人は続けて、「弥陀におまかせしたそのときに往生は間違いなく定まると信じ、そのまま疑いの心なく臨終まで続く、この安心を得たなら、浄土に往生することができるのだよ」と、弥陀にまかせることの大切さを教えてくださっているんだよ。

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