舎利弗よ

 お念仏の救いを私たちに正しくお伝えくださる経典が浄土三部経です。
 中でも日々誦えることが多いのが「仏説阿弥陀経」です。その内容はまず極楽浄土についてそのありさまが説かれています。そして、阿弥陀仏の名とその功徳が示され、その極楽に生まれるために一心不乱に念仏せよ、と説かれています。さらに、六方の諸仏がたが普遍なる導きの救いを示され、最後に濁世(濁った末世)を生きるものに説かれた難信の法( 自力をもっては決して信ずることができない法門の意)であると結ばれています。
 このお経には随所に「舎利弗」の名前が出てきます。舎利弗はお釈迦さまの十大弟子のひとりで、「智慧第一」と称され、お釈迦さまからも高く信望されていました。
 「舎利弗よ」と呼びかけながらお釈迦さまの説法が続きますが、呼びかけられた舎利弗からはひと言も返答がありません。お経典には問答になっているものが多いのですが、阿弥陀経は問答ではないのです。ですから、「無問自説の経」といわれています。何れかの問いに応じての説法ではなく、お釈迦さまの自らのご意思で「これだけは言わずにはおれない」という最重要の説法なのです。
 このお経はお釈迦さまがご入滅まぎわの説法であるといわれています。大無量寿経で説かれた本願念仏の法の要が、これを説くためにこの世にお出ましになったこと(出世本懐)を、最後にもう一度知らせようとされました。
 そして智慧第一といわれた舎利弗に対して、本願の念仏はいかに愚かなものでも、いかに賢いものでも信受せずにはおれないということを示されたのです。
 この「舎利弗よ」との呼びかけが私の名前であったらどうでしょう。私は一切応えることができなくても「龍山よ」と響いてご説法されるのです。 そこには、大切なものを大切に受け取って欲しいというお釈迦さまの願いが満ちているのです。

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