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藤娘に憧れて

 先日、所用で茨城東南部方面に行きました。車でしたから「潮来(いたこ)」の地名になんとも言えない懐かしさを感じました。
 小学中学と日舞を少し習っていました。ちょうど、童謡や子ども向けの端唄から、卒業した演目が「潮来出島」でした。
 江戸時代、潮来村は津軽方面の奥州諸藩が、江戸へ米を輸送する際の中継点として栄えました。 川沿いには蔵屋敷が立ち並び、船頭さんや、東国三社詣で(香取神宮、鹿島神宮、息栖神社)をする参詣客でにぎわいました(鹿島神社は親鸞さまが教行信証を執筆なさる為に訪れたところでもあります)。
 「潮来節」は船頭歌からお座敷歌、そこから盆踊りや田植え唄などに変化したそうです。日舞の「潮来出島」は長唄「藤娘」の中に引用されていることでも有名ですから、当時、まだ小学生でしたが「藤娘」への憧れもありました。日舞や歌舞伎の「藤娘」を観たことはなかったのですが、日本人形や羽子板の押し絵での華やかさや、大津絵から抜け出た藤の精だと言う物語は大変夢があります。とは言え、ピアノの発表会で、今にショパンを弾くんだ、と思いながらバイエルを弾いている位の幼いレベルでありましたから、日舞の出来は散々なものだったでしょう。
 懐かしくなって、ユーチューブで「潮来出島」を検索しましたが、何本見てもどうも違うのです。お扇子を櫂(かい)に見立てて舟を漕ぐ仕草がないな、とか、ちょっとした所作が習ったものと違うなぁとモヤモヤしていてハッと気付きました。習っていた流派で検索していなかったのです。検索し直して、あー、これだ、これだ、と、昔の友人に久しぶりに会ったような嬉しさと安堵が広がりました。
 そして「やっとお西のお寺を見つけました」と飛び込んでいらっしゃる門徒さんの気持ちがわかりました。
 特にご法義処からこちらいらした方は、お寺の少なさ、浄土真宗の少なさに大変驚きます。やっと見つけても本願寺派でないと、お寺の仏具が違ったり、お経の節も違ったり、と、モヤモヤするのです。教えは同じと頭でわかっていても気持ちがモヤモヤするのですね。
 「藤娘」に憧れていた女の子は、いつのまにか『下り藤のおばちゃん』になったんだなぁ、とニヤリとしながら舞扇子を時々出してみたりしています。

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