提灯は誰のため
昔のインドでのおはなし。ある方のもとに友人が訪ねてきました。久しぶりにあれこれ話しているうちにすっかり暗くなってしまいました。夜道は危ないから提灯を持って行きなさい、と勧めました。すると友人は「自分は目が不自由だから提灯は要らない」と言いました。「しかし、君には不要かもしれないけれど、他のひとがぶつかってくると危ないから持って行って欲しい」というと友人は納得して提灯をもって家路についた、という話です。
これは『比喩経』におさめられているお釈迦さまの譬えのご説法です。
この話でお釈迦さまは私たちに何をお伝えくださったのでしょうか。それは、自分の側からしか考えることができない私の姿です。日暮らしをしておりますと、「自分の都合」が最優先になりがちです。車を運転している時、時間の余裕がないと他の車の動きが妙に悠長に感じられ、信号で止まるたびにイライラが募ります。逆に急いでいない時には、他の車がせっかちに映るものです。誠に自分勝手な姿そのものです。
さて、以前ご病気で入院された門徒さんのお見舞いに伺った時のことです。ご家族からは重篤に近い容態であることを聞いていましたので、お会いできるのはこれが最後かもしれないと思いながら病室に向かいました。 私と坊守の顔を見ると、とてもよろこんでくださいました。
しかし、自身の病状のことより「お寺を留守にして大丈夫ですか」とか、「あなた方はまだ若いけれど、身体には注意してくださいね」など声をかけていただき、私たちの方がお見舞いされているようでした。
相手の立場に立って考え、行うことの大切さを身をもって教えていただいた方がいたのでした。