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普段着のまま

 しばらく前に比較的大きな地震がありました。すぐに東日本大震災の時のことを思い出しました。あの時は船が揺られているような大きな揺れでしたが、今回はわりと小刻みです。次に大きな揺れになるのか、と不安でしたが次第に治まり安堵しました。
 もし、避難しなければならない事態が来れば、阿弥陀さまだけを抱えて外に出ようと、心の準備だけはしています。
 もしその緊急の時が来た時、私の服装はどうすれば良いでしょうか。
 日頃、仏前にお参りするときは法衣姿ですが、緊急の時は身を整える暇などありません。普段着のままです。今、着ているものが大切なのではなくて、仏さまを避難させることが第一です。私の服装などはどうでも良いのです。
 さて、永らくの娑婆の縁尽きて、いよいよお浄土に参るときは必ず来ます。ゆっくりと来ることもあれば、急に来ることもあるでしょう。
 その時、私はどのような服装で参るのでしょうか。やはり、その時に着ているもののままです。着ているものより大事なことは何か。
 親鸞聖人の御臨終が近い時のご様子が「御伝鈔」に記されています。「口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし」
(世間のことはお話しされず、ただ阿弥陀さまのお救いのおこころ深きことだけを話されました。そして、お念仏だけをたゆみなく重ねておられました)
 日々、お念仏を申され、いよいよお浄土が近くなってお念仏の有難さを深く味わうばかりのお姿です。
 原口針水という和上さんが残されされた一首は今も多くの方々にお念仏のお心を伝え続けています。

 われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀
  つれてゆくぞの 親のよびごえ

 姿や形はそのままで救っていただく他はありません。
 そのことの広く深い慈悲の理由を聞かせていただくために娑婆世界でいのちを頂いていることを忘れてはいけません。

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