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その時、照らすもの

 冬になり、雪国の豪雪や悪天候のニュースを見る度に思い出す事があります。
 北海道で慣れた道のはずが吹雪でホワイトアウトになり、当時9歳の少女の生命を10時間もの間抱きかかえ護ったお父さんの話です。それも、春を知らせるひな祭りの時でした。
 自分の生命と引き換えに子の生命を守り抜いたお父さんは本当に素晴らしいです。これから進路や人生の分岐点に立った時にご両親ともいないのはどれだけ大変かとは思います。でも、あの少女は生かされている我が身を思い、ご両親に感謝の気持ちを持ちながら、強く生き抜くであろうと信じています。
 零下何度という吹雪の中で、自分の上着を脱いで子に着せ、更に子を抱いて自分の体温で護ったのです。自分の死を覚悟して子を護り抜く。そんな事、親以外の誰ができますか。
 私はその話を思い返す度に、その少女が『私』で、お父さんが『阿弥陀さま』だと思わずにはおれません。
ホワイトアウトであったり真っ暗な夜道であっても、阿弥陀さまのみ光は『私』の行く先を照らし、ひとりではない事を知らしめてくださいます。
 私達は日々の生活の中でいろいろな困難に突き当たります。そして、様々な形で傷つき、不安になったりくじけそうになる事がありますし、『孤独』を強く実感する事もあるかもしれません。
 その時我が身を照らすみ光に気付いたらどうでしょうか。決して、ひとりで生きているのではないのです。孤独だと思う生命を越えて、阿弥陀さまや仲間と共にあるという繋がりを見出すことができるのではないでしょうか。
 阿弥陀さまのみ光はいつでもどこでも誰にでも平等に届けられているはずです。しかしながら、私達はその光になかなか気付きません。自分中心のものさしで測っているからか、或いは自分がひとりで輝いていると錯覚しているのかも知れません。生きることに戸惑い闇を感じることが多い人生の中で、生き抜く力と勇気を頂ける事ができる大きなみ光の中に自分が生かされていることに気付くことが最も大切なことではないでしょうか。
 そしてまた、そのみ光である『願い』について共に語らう仲間の繋がりがあったら、人生は更に豊かになるのではないかと思っています。

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