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蓮如上人御一代記聞書31
「まゐらせ心わろし」

みんなはこうして毎月お寺に来てくれるけど、「お寺に行っているから救われる」とか「毎日念仏しているから大丈夫」とか思ってはいないかい?もしそうだとすると、親鸞さまが教えてくれた仏法とは少し違うってことになっちゃう。
蓮如上人は、

仏法にはまゐらせ心わろし。これをして御心に叶はんと思ふ心なり。

とおっしゃったよ。「まゐらせ心」というのは、自分がやったよい行い、功徳を仏に差しあげようとする心のこと。念仏や聴聞をすることで功徳をつみ、阿弥陀様の心にかなおうとする心、つまり自力の心のことをいうんだ。
学校の友達を見ると、お寺に行く子や念仏する子はほとんどいないね。その子たちと自分を比べると、つい自分の方がえらいとか立派なように思ってしまう。けどね、よく考えると自分がえらくてお寺に来ているわけじゃないんだ。お父さんやお母さんに勧められたからとか、何かそういう縁があったから来ているだけで、自分の手柄じゃない。それなのに、それを手柄にして救われると思っていたら、これは大間違いだよね。
阿弥陀様は、「○○したら救う」とはおっしゃってない。○○は、念仏や聴聞、善行などのことだけど、これこれしたから救うではないんだ。そのまま救うとおっしゃっている。このそのままとは、何の善行もできない愚かな凡夫ってこと。よい者になったから救うのではなく、愚か者のまま救うとおっしゃっているわけ。これこそが、阿弥陀様の他力の救いだよ。
他力の救いは一方通行なんだ。100パーセント阿弥陀様の力なの。こっちから手をのばしたり、手柄を向けるようなことはしちゃいけない。そんなことをしたら、阿弥陀様の心と食い違っちゃうんだ。
お寺に行こうと念仏しようと、地獄行きの私の姿には変わりはないよ。でもね、その私をこそ助けたい、助けずにはおかないという阿弥陀様の願いがかかっている。その願いに身も心もからめとられていくのが親鸞さまの説かれた救いの道なんだ。

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