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蓮如上人の御生涯 8
「本願寺留守職の継職」

 1457(康正3)年6月18日、蓮如上人の父、本願寺第七代存如上人は62歳で亡くなられたよ。当然、蓮如上人が留守職(御住職)になるべきと誰もが思ってたのだけど、ここでひとつ事件が巻き起こる。存如上人の正室如円尼が、我が子応玄(蓮照)に継がせようと図ったんだ。
 本願寺では、生前に譲状をしたためて後継者を指名する慣例があって、『蓮如上人塵拾鈔』によると存如上人は蓮如上人宛の譲状を書いて渡していたと伝わるのだけど、どういうわけかその譲状は現存していないんだ。歴代の譲状がすべて保管されている中、これだけ紛失するというのも考えられず、謎のひとつになっているよ。
 この時応玄は25歳で蓮如上人より19歳年少、青蓮院で修行中だった。如円尼はこの応玄を呼び寄せ、「蓮如は長男だけれども正妻の子ではない庶子、応玄こそは正妻の子であるから、本願寺の継承者としてふさわしい」と主張したよ。奥様の主張だから、当時の関係者は抗すこともできず同意し、存如上人の御葬儀は応玄がとりしきり、住持職としてふるまっていたんだ。
 大勢が決まったかのように見えていたのだけど、そこに存如上人の弟で、蓮如上人の叔父にあたる如乗が加賀から上山してきて、この状況をうれいて強く反対の意をとなえ、一家中、門徒衆、坊主衆を説得し、ついに蓮如上人が留守職となることが決められたんだ。この如乗という方、叔父とはいっても蓮如上人より三歳年長にすぎず、幼少のころは共に大谷で過ごした親しい間柄だったよ。これまでの蓮如上人のご活躍や手腕から、将来性を誰よりも見抜いていたんだね。
 如乗の必死の説得で、蓮如上人の継職が決定し、ここに本願寺第八代蓮如上人が誕生したんだよ。
 望みを絶たれた如円尼と応玄は、土蔵にあったものをことごとく持ち去り、残ったのは一尺ほどの味噌桶ひとつだったそうだよ。でもその後、如円尼は自らの行為を懺悔して蓮如上人と和解し、本願寺に帰り住み、継職の3年後に亡くなったと伝わっているよ。

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