報恩謝徳

 酷暑だった夏もすこしづつ秋にその場を譲ろうとしています。空を見上げると雲の形にも季節の移ろいの様子が表れてきました。
 さて、今年も報恩講御修行の時期が近づいて参りました。ここで、蓮如上人のお手紙である御文章に報恩講について書かれたものがございますのでご紹介いたします。

そもそも、今日は鸞聖人(親鸞聖人)の御命日として、かならず報恩謝徳のこころざしをはこばざる人、これすくなし。(略)今日にかぎりてあながちに出仕をいたし、この講中の座敷をふさぐをもつて真宗の肝要とばかりおもはん人は、いかでかわが聖人の御意にはあひかなひがたし。(御文章 三帖目九通)

 普段はお寺にお参りされない人も、報恩講には参詣をしようという人は多かったことでしょう。
 しかし、報恩講にご参詣の人が多く集まって本堂が満堂になる事が真宗で最も大事なことだと思っている人は、親鸞聖人のお心に叶っていないのだと仰せられています。
 これは、参詣を呼びかけている私たち僧侶に対しての戒めのお言葉でもあります。
 報恩講は親鸞聖人の「報恩謝徳」が目的でありますので、ただ人が多く集まればよいのではないのだといわれています。

 御文章続きに
すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。また自身の極楽往生の一途も治定しをはりぬべき道理なり。(御文章 三帖目九通)

 このたびの参詣で はやく他力の信心を決定して、浄土往生を定めるようにしてください。そのようにしてこそ、親鸞聖人の報恩(恩返し)の気持ちにかない、また 自らの浄土往生も定まるというものです、と述べられています。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
   「正像末和讃」

 今年も報恩謝徳の法要を大切に迎えたいと思います。

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