1. HOME
  2. 仏教コラム
  3. 蓮如上人の御生涯20「腹ごもりの聖教」

蓮如上人の御生涯20
「腹ごもりの聖教」

 蓮如上人が吉崎に戻られた翌年、文明六年(1474)3月28日、大きな火災が発生し、吉崎御坊が炎上してしまったんだ。諸国からの参詣人の増加にともない、御坊周辺には多くの家が建てられていて、それまでも年に一度くらいは火事で焼ける家があったんだ。でも、この日 南大門の多屋から出た火は、風にあおられて本堂に飛び火し、北大門にもうつり、御坊のみならず南北の多屋九軒ほどが焼失してしまったよ。
この時、蓮如上人は急いで避難したため、読んでいた聖教のうち宗祖御真筆の『教行信証』六巻中の「証巻」を机の上に置き忘れてしまったんだ。親鸞聖人の直筆だから、代わるもののない貴重な聖教だよ。これを知った本光坊了顕は、とめる上人の手を振り払い、聖教を救うため燃え盛る火もかえりみず寺内にかけこんだんだよ。聖教を手にし懐にしまったものの、外にのがれるすべなく、ついに自らの腹を切り開いて、その腹の中に聖教をおさめて死守したというよ。猛火が収まり、その焼け跡からは、『証』の巻を切り開いた腹にしっかりと抱いた本向坊の遺体が発見されたんだ。
以来、この「証巻」は「腹ごもりの聖教」と呼ばれるようになり、この本向坊の遺徳を偲び、多くの浄土真宗の声明本(勤行用の聖典)や聖教には赤い表装が使われるようになったとの言い伝えがあるよ。
この大火では、燃え落ちた御坊跡から発見された蓮如上人御染筆の名号「焼け残りの名号」(六字名号)が今に伝わり、本願寺眞無量院に大切に保存されているよ。また、同じく焼け残った十字名号の話が、空善聞書に記されていて、蓮如上人は晩年「これは先年炎上の時、火の中にあり。まわりばかりやけ、十字の文字一字もやけず、奇特にてあるぞ」と喜ばれたと伝わるよ。
命がけと言うのは簡単だけど、本当に命をかけることなんてできることじゃないよ。本向坊のような篤信の行者や同行によって、今日僕たちが阿弥陀様の教えを聞く縁がつながれてきたんだね。

関連記事