燕(つばめ)

先日、出先で低く飛ぶ燕に遭遇しました。確かに翌日雨になりました。
医療従事者や介護職ではお馴染みの嚥下(えんげ)という言葉があります。飲み込む事を言いますが、口偏に燕と書くのが面白いです。燕の雛が親鳥から餌をもらって飲み込む様から「嚥」という字ができたそうですが、英語でも「swallow」は「飲み込む」という意味もあって、洋の東西を問わないのだなぁと、巣の雛の黄色い喉元が並ぶ様を想像して口元が緩みました。
私が初めて燕に出遭ったのは、オスカー・ワイルド作の『幸せな王子』という童話でした。
街の象徴の金箔張りの王子の像は、目が青いサファイアで剣に紅いルビーが設えてありました。ですが、心を持っていて、宮殿に居た頃にはわからなかった市井の人々の暮らしを見て、清らかな心を持ちながら貧しさに負けそうになる人々に心を痛めていました。
ある時、南へ旅立とうとしている燕が、王子の像の足元で羽根を休めていると、王子の涙で身体が濡れてしまいます。燕は王子の気持ちを察して、毎日宝石や剥がした金箔を貧しい人々に配り、寒さの中力尽きてしまいます。
金箔が剥がれた王子の像はみすぼらしいとの事で溶鉱炉で溶かされてしまうのですが、燕の死を悲しみ二つに割れた鉛の心臓だけは溶けずに残ります。その心臓は燕の亡骸と共にゴミ捨て場に捨てられるのですが、神様に下界から最も尊きものを二つ持ってくるようにと言いつかった天使が、鉛の心臓と燕の亡骸を拾いに来ます。
今、思い返しても涙が出るお話です。この喜捨と博愛の精神も、仏教との意味合いや表現の違いはあるものの、洋の東西を問わずであるのだと感じ入ります。
少し前に、門徒さん宅の玄関に、毎年燕が巣を作っておりました。ある年、その門徒さんが、「毎年同じ燕が帰って来ると思っていたけれど、燕は平均寿命が1〜2年らしいんだよ。それでもやっぱり今年も帰ってきてくれたなぁと思うし、ここで生まれた雛が翌年帰って来るのかもしれないしね」と仰っていました。
私たち人間の旅は燕よりずっとずっと長いのですが、力尽きたその時に何処に帰るのかわかっていた方が、よりよい旅ができるように思います。