形見分け

一月に急逝した母の遺品整理はほとんど弟達がやってくれました。私は毎日一緒にいたせいか、涙ばかりが出てしまい、弟達がまとめてくれたゴミを出すという楽チンな係を担当。
母の着物は背も裄も違うので着られません。母の思い出のある帯を何本か形見分けとなりました。式章を形見分けされた方の弟が、女性ものの未使用のお念珠があるから、と、後から持ってきてくれました。
それは、母が築地本願寺の次男に、あの広い築地で父の祥月のおつとめをして貰う時におろすのだと言っていたものでした。その願いは叶わなかったので、母の新盆の時におろしました。これからも母の法事の時にはこのお念珠にしようと思っています。
浄土真宗ではお念仏やお経の数を数える為にお念珠を使う事はありません。お守りや魔除けでもありません。では何故持つのでしょう?
お念珠を持った手で、誰かを叩いたり、何かを横取りしたりはできません(持っていなくてもやってはいけないけどねぇ)。お念珠は、仏さまと心を通わす仏具です。僧俗同じに持つ事ができる仏具であります。
今、母より3週間前に亡くなった義母の遺品整理はまだ終わりません(泣)。私自身がモノを増やしたくないので形見分けを躊躇していました。着物用の懐中時計があったので、これは義母の新盆の時に使おうと思うと住職に言いましたら、これは自分がプレゼントしたものだよ、と驚いていました。
また、義弟がプレゼントした、義母の誕生石のネックレスを貰ってくれないかと言われました。ネックレスだと、多分私は一生つける事はないでしょう。ですが、それは義母が気に入ってつけていたものですから、今度、京都のお念珠屋さんでお念珠に直して貰おうと思っています。義母の一周忌に間に合うといいです。
さて、私には4人の息子達がいますから、いずれ4人の娘が増える事でしょう。それぞれの娘達の職業や生き方に合ったものを一つずつ、形見分けするものを決めておこうと思います。後のものは全部捨ててもらって構いませんし、子ども達が処分が楽なようにしておかねばならないと肝に銘じています。
亡くなった時に私が手に持って行かれるものは、何一つないのですから。