生死一如
今年の我家は義母の一周忌で締めくくり、年明けは母の一周忌からスタートです。来年はこれが三回忌となるわけです。
初七日、四十九日、百か日、新盆、一周忌、三回忌、七回忌…
凄く似ているなぁと思うのは、赤ちゃんのお祝い事。
お七夜、百日祝い(お食い初め)、初参式(一般的にはお宮参り)、一歳のお誕生日、七五三、十三詣り…仏事の区切りと大変似ています。
お七夜を初七日とうっかり言うてしまうのは、坊守あるあるかもしれません。
今よりも出産時や5歳になるまでの生存率が低かった時代は、特にお七夜も百日のお祝いも、大切な事であったろうなぁと思います。
もちろん、医療の恩恵に与れる現代の日本でも、出産は命がけです。夫はその事を忘れやすいし、女性自身もまた忘れます。忘れるから次の出産ができるのですが、忘れ方の方向を違えると、ネグレクトや虐待が生じてしまうのでしょう。
最近はイクメン流行りで、おんぶ紐や抱っこ紐、ベビーケアバッグも男性でも持てるデザインのものが増えてきて、実際育児参加の男性が凄く増えてきています。
私自身は野良猫のお母さんのようでした。住職に任せる事ができなくて、心の中でシャーっと威嚇していたかも(笑)
お腹の中にいる時は私が護ってきたせいか、吾子に対して、私が産んだけれども私の『もの』ではない、私物化してはいけない、と、自分自身にも、シャーと吠えていたのです。
何かの拍子に、この小さきいのちを護れなかったらどうしよう、と思ったり、余りに静かで様子を見に行って可愛い寝息に涙が出そうになったり。生まれてきてくれた事が既に奇跡の気がしていました。
生と死は表裏一体。もしこの子に何かあったら、私は、喜びも悲しみも、出会いも別れも、すべては生死の流れの中で生じている現象として受け止められるのだろうか?と考えていました。
ですが、床上げをして普段の生活に戻ると、そんな事はすぐ忘れてしまいました。私の場合4回も大事なチャンスを頂きながら、ずっと忘れて過ごしていました。
今、義母の一周忌の諸準備をしながら、生死の流れの中で生かされている自分自身を見つめること。それが、生死一如の想いを深める時であるのだなぁと感じています。


