1. HOME
  2. 仏教コラム
  3. 衆善海水のごとく

衆善海水のごとく

 私がこどもの頃に最初におつとめしたのは「十二礼」でした。正確には意訳された「らいはいのうた」で「天人ともに仰ぎみる」とリズムにのってはじまるおつとめです。
 「十二礼」は七高僧の初祖である龍樹菩薩がおつくりくださった讃歌で「故我頂礼弥陀尊(阿弥陀ほとけをおがまなん)」という讃嘆が十二回繰り返されるので「十二礼」と呼ばれます。
 この中に「衆善海水」と示されています。これは南無阿弥陀仏というお名号に、あらゆる功徳・善根が海のように広く深く集められて、一切の衆生を救うための願いが込められていることが表されています。
 善導大師は
「衆善海水のごとし」 とまふすは、弥陀の御名のなかには、よろづの功徳善根をあつめ、おさめたまえることを、衆善とはまふすなり。「海水」 といふは、うみのみづのごとく、ひろく、おほきにたとへたまへるなり。
と、ご教導くださいました。
 私たちは海について自然の一部としての雄大さや荒々しさを感じ、景色として眺望し、生業として生きる人はその厳しさを感じています。
 親鸞聖人は「海」を大いなる譬えとして阿弥陀仏の救いを表す「本願海」として、また煩悩の中でしか生きられない私たちの姿を「群生海」として表されました。

 南無阿弥陀仏をとけるには
 衆善海水のごとくなり
 かの清浄の善 身にえたり
 ひとしく衆生に回向せん

 このご和讃は、「高僧和讃」の結びの一首です。
 南無阿弥陀仏と成就してくださり、それぞれの時代にそれぞれの国でご一生をかけてお説きくださった七高僧のいのちを讃えられました。
 親鸞聖人は、南無阿弥陀仏の名号に、あらゆる徳がおさめられ、それは、あたかも海水のように 窮まり満ちていて、どのような濁りをも転じかえて成すはたらきをもつ智慧であることを示されたのでした。
 仏徳の深きことに感謝申し上げるばかりです。

関連記事