「彼の岸を思う」
 教念寺 龍山利道住職

「彼の岸を思う」教念寺 龍山利道住職

彼岸のいわれ
お彼岸は、この世をあらわす此岸に対するところで、阿弥陀様の浄土を意味します。浄土教は、けがれたこの世、穢土を厭い離れて浄土を求める教えで、このことを「厭離穢土・欣求浄土」といいます。
お経には、「ここから西方に十万憶土離れたところに阿弥陀様の浄土がある」と説かれています。沈む夕日を見ながら「この先に浄土があるのだな」と浄土に思いをいたす。そして、先に浄土に帰られた父母、祖父母など、縁あるかたがたに思いをはせること、これがお彼岸という宗教行事です。
この度の新型コロナの騒動は、なんでも当たり前と思って過ごしている私たちの暮らしを考え直すきっかけになりました。マスクやティッシュが店頭からなくなり、仕事も学校も、当たり前でなくなってきています。これから先も、予断は許されません。
まだ食べ物がなくなってないのでパニックにはなりませんが、もし食べ物に影響が大きく出たなら、私さえよければ、私の家族さえよければという心が増幅し、我先にと群がるようになるのではないでしょうか。

対応の脆弱さ
今回の騒動を見ていると、私たちは何か急なことが起きた時の対応が脆弱なように思います。その姿は、雪が降ったときによくあらわれます。
雪国では、冬は雪が何メートルも積もります。新潟や長野では、雪が積もって1階は出入りできなくなり、2階の窓から出入りしていたという話を、門徒さんから聞きました。そういう地域では、雪が降っても驚きません。不便だったり、いやだなあという思いはあると思いますが、それによって何か大きな問題が起きるわけでもなく、雪が降ることを受け止めることができるわけです。
しかし、首都圏で雪が降ると電車はとまり、車は動けなくなり、事故も起きます。歩行者は滑って転んでしまう。すべて、その状態に慣れていないから起きているのです。
いつか、新型コロナも現在のインフルエンザのように、当たり前の病気になってしまうのでしょうか。でもそうなったとしても、また新たな病気が出てきて同じような状態は起こるのでしょう。
親鸞聖人の時代は、疫病、今でいうはしかや天然痘がはやり、多くの人たちが命を落とされました。当時のことですから、病気に対してなす術はありません。加持祈祷といって、神仏に祈るのが精一杯でした。
しかし、今の時代もそれほど変わっていないのかもしれません。
先日、ニュースで、ある宗派の方が病気平癒の祈祷を行っていました。神仏に祈りをささげることを是とする宗派なのですが、親鸞聖人の時代とちっとも変わらないのだなと思いました。

本願寺の歴史
浄土真宗の本山が、京都から離れた時期があったのをご存じですか?蓮如上人から顕如上人の時代まで、本願寺は京都にありませんでした。背景には、戦国の世ということがあります。 また、本願寺教団は比叡山にいつもにらまれ、迫害を受けており、そこから逃れるためということもありました。
蓮如上人は、京都山科に大きな本願寺を建立しました。その時代、京都といえるのは洛中だけ。碁盤の目の中だけです。山を越えた先の山科は京都ではなかったんですね。でも、その規模は広大で、3重の寺内町がある一大宗教都市だったといわれています。
上人は晩年、大阪の出口というところに大阪御坊を建てられました。場所は、今の大阪城のあるあたりです。大阪は川の多いところで、中州がたくさんあり、その小高い丘の上に建てられました。
後にその丘は「石山」と呼ばれるようになり、大阪御坊は石山本願寺となり大変繁栄しました。
本願寺十一代の顕如上人の時代に織田信長と戦い、その戦は「石山合戦」といわれています。
本願寺は和睦して寺地をあけわたしますが、その後和歌山の鷺ノ森、大阪の貝塚、天満など、各地を転々とします。その後、豊臣秀吉に現在の京都堀川の地に呼ばれて移ったわけです。

人間の転機
昔の人は仏法に寄り添って生きていました。それは、自分のすぐ隣に死があったからです。元気だった人が突然命を落とす。昔はそんなことも当たり前でした。
今はどうでしょうか。本当は今だって死はすぐそばにあるんです。見えない、あるいは見ていないだけでしょう。
今回のコロナでも、私たちは、かかったとしてもそう簡単に死なないと思っていますね。でも、コロナになって治った人の話を聞くと、食欲はないし吐き気はあるし、食事ものどを通らないしほんとに大変な病気です。治るとしてもなりたくないですし、ましてや死ぬとなったらどうですか。どんな病気でも、死なないとは限らないのです。
人間には、どこかで転機、考え方や生き方を変えなければいけない人生の転機が訪れます。そのきっかけはいろいろありますが、やはり近しい人の死、両親や連れ合い、子供の死というのが大きいのではないでしょうか。
老病死の苦しみを自分が経験する、あるいは自分に近い人がそうなるということ。自分の家族が手術をするなど。そういう経験をしている人は、仏法聴聞のための扉の前に立っているのと同じです。
そうして目が開けることを、回心といいます。回心すると、それまでと景色が変わり、同じ景色は見られなくなります。
門徒さんで、運転免許を返納するという方がいました。車を便利に使っている方だったのですが、怖いからもうやめたと。これは大きな転換です。
回心というのは、自分の考えがぐるっと変わってくること。そうならないといけないということではありませんが、見る方向が変わってくるわけです。命を落とすかもしれない病にかかった人は、生き方をかえて自分が何を聞いていくべきかと問うていかないといけなくなります。

親鸞聖人と法然聖人
親鸞聖人は、比叡山を下りてすぐに法然聖人に出遭われました。29歳の時です。六角堂に籠られて95日の暁に夢のお告げを受け、その後、法然聖人のもとに百日間通われます。
宗教的問いへの答えは、スマホで簡単に調べられるようなものではありません。仮にそれで答えが出たとして、本当にそれで幸せになれるのでしょうか。病気が治ったこの身でも、必ず死をむかえなければいけないことに変わりはありません。そのことに、いつ、どう気づけるでしょう。1度や2度聞いたくらいでは、中々そのようにはいただけません。
親鸞聖人は法然聖人のことを、単なる先生としてではなく、真如の世界からやってきた方、如来様とご覧になっていました。
だから法然聖人の仰せをそのまま聞きぬくことができたのでしょう。
先に浄土に帰られた方々は、私に何を願われているのでしょう。仏様の呼びかけにどうか答えてほしいという思いで見てくださっているのです。
私のこの縁、法縁は、多くの方々の力のたまものです。これからも機会ある限り、法縁を深めていただくこと願っているのです。