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蓮如上人の御生涯17
「異義の氾濫」

 蓮如上人の熱心な伝道活動によって、吉崎には諸国から群衆が殺到してきたんだけど、それは必ずしも喜ばしいことではなかったんだ。
 蓮如上人が吉崎に御坊を建てられた目的は、たとえ罪が深かろうとも阿弥陀様は必ず救ってくださるのだから、自力の心を振り捨てて真実信心をいただき浄土に往生してくださいと、一人でも多くの人に伝えるためだったんだ。
 でも、集まってくる人たちは、まるでお伊勢参りか何かのように思って参詣している。ありがたい御坊があるからお参りしてみよう、蓮如上人はすごい人らしいから話を聞いてみようという程度で、信心を得ようという人も浄土に往生しようという人もほとんど見られなかったんだ。
 蓮如上人は、「この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとおり、いかがと心もとなく候(御文章・雪中章)」と、群れをなしてお参りになる人たちがどういう気持ちでいるのか、心配なことだと憂いてらっしゃるよ。
 そしてまた、浄土真宗の教えを間違って理解し伝える人たちも多く出てきたんだ。その一つが、「阿弥陀様は十劫の昔に正覚をとられ、私達の往生は確定した。だからそのことを忘れないのが信心だ」という、十劫安心という異義だよ。ここには私たちが往生するための他力の信心というものが抜けているぞ、大間違いだぞと批判されているよ。
 もう一つ「善知識頼み」という異義もあったよ。善知識とは私たちに仏法を教えてくださる大切な存在のことだけど、「阿弥陀様に帰命するとしても、それを教えてくれる善知識がいなければ救われない。だから善知識をたよりにするばかりだ」と説く人が現れたんだ。これも蓮如上人は、善知識とは一心に弥陀をたのめとすすめる人を言うのであって、救い主は阿弥陀様、その阿弥陀様を忘れて善知識だけをたよりにするのは間違っているぞと批判されたよ。
 ほかにも、親鸞聖人の説かれた信心と異なる教えが、数限りなく出てきたんだ。蓮如上人は、真実信心を伝えることの難しさを痛感されたよ。でも諦めることなく、御文章をとおして阿弥陀様の本願の尊さ・ありがたさをお伝えくださったんだ。

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