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蓮如上人の御生涯22
「若狭の教化」

 文明7年8月21日、吉崎を急ぎ退去した蓮如上人、翌日22日に福井県若狭の小浜にたどり着いたよ。蓮如上人の尊さ、すばらしさはもちろんこの地にも広まっていて、土地の人のすすめに従い、しばらくここに滞在されたんだ。
 宿所とした妙光寺は、もともと比叡山の僧が住職だったのだけど、覚如上人の時代に上人に帰依し、浄土真宗になっていたの。そんなお寺に突然本願寺のご門主が来られたんだから、それはそれは歓待されただろうね。
 蓮如上人はこれを機に若狭国内をまわられ、教えを伝えられたよ。若狭の鳥羽谷、山内村の飛長権守(とびながごんのかみ)という人が上人に帰依し、上人を招いて法座を催したんだって。村人たちがこぞって参拝されたよ。飛長権守が「道場を建てて御法を広めたい」と申し出て、上人の指示でお弟子の一人慶聞坊(きょうもんぼう)がしばらくそこに残られたと『蓮如上人縁起』に記されているよ。
 蓮如上人は、長(おさ)と呼ばれる村の有力者をまず浄土真宗の正しい理解者に育て、その人を通じて御教えを人々に広めていくという伝道方法を取られたよ。この飛長権守も、そんな長の一人だったんだね。
 こういう例は若狭だけでなく、越前・加賀・越中・美濃・飛騨の各地で、村の有力者が浄土真宗に帰依し、宗教・政治の両面で指導力を発揮して地域全体が本願寺門徒になっていったんだ。飛騨のあるお寺の伝承には、「草に風をくわうるが如く、人悉く集まり、国こぞりて帰依し、繁昌日々にいやまして」とその仏法繁昌のようすが記されているよ。
 やっとの思いで戦乱を逃れてきたのに、蓮如上人は一日も休まず仏法を伝えて回られたんだ。もちろんそこに頭が下がるけど、その御教えをさらに伝え広めてくださったのが、僧侶じゃない、在家の人々だったということに浄土真宗の力強さを感じるよ。
 煩悩具足の愚かな凡夫のための教え。だからこそ、特別な地位や財産もない普通の人々の間に、急速に広まっていったんだね。

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