蓮如上人の御生涯23
「出口御坊」
若狭に滞在されていた蓮如上人、文明七年の冬の頃、丹波をとおり富田(現在の大阪府高槻市)に移られたよ。その後、河内茨田郡出口村(大阪府枚方市)の法住という僧の勧めにより、出口村に移られたんだ。
法住は、「出口は摂津の中央で、淀川もあって交通も便利、仏法弘通にいいですよ」としきりに勧めたんだ。浄土真宗の教えを広めたい蓮如上人だから、当然心を動かされるよね。
出口には二丁四方(一万四千四百坪)の大きな池があり、それを埋め立てて諸堂が建立されたよ。でも、池を少し残されたんだ。これにはこんなエピソードが伝えられているよ。
ある夜、蓮如上人のもとに一人の女性がやってきた。「わたしは出口の池に五百年住んできた大蛇です。このたび池を埋められると聞きましたが、私の住居がなくなってしまいます。どうしたらいいでしょうか」と言うんだ。上人が「この地に寺を建てるが、お前のために池を残しておこう」と答えると、女性は「ありがとうございます。私は永い間この地に仏法がひろまることを願っていました。このたび仏縁に出会えたことを喜んでおり、私もお手伝いさせていただきます」と答えたんだって。
この話は『蓮如上人縁起』や『蓮如上人御絵伝』に「出口龍女済度」として伝えられているよ。親鸞聖人の正像末和讃には、「悪性さらにやめがたしこころは蛇蝎のごとくなり」、つまり、僕たちの心は悪をやめられず蛇やさそりのようだと説かれているね。長い間迷い続けてきた、蛇やさそりの心しか持たない僕たちが、阿弥陀様の本願にであって救われること、そのよろこびを表した逸話なんだ。
上人は61歳から63歳までの約3年間、ここ出口に住んで、近畿を中心に積極的な教化を展開されたよ。出口御坊での報恩講には、各地から大勢の人々が参集し、その門前は市をなすほどのにぎわいであったと伝えられているんだ。吉崎御坊もそうだったけど、蓮如上人のおられるところには、人が集まり絶えることがない。本当に魅力的な方だったんだね。
上人はここでも「御文章」をたくさん書かれ、みんなも知っている『白骨の御文章』も出口時代の作と言い伝えられているよ。


