人生列車

発車駅の東京も知らず、横浜も覚えがない。
丹那トンネルを過ぎたところで薄目をあける。
静岡あたりで突然乗っていることに気づく。
そして名古屋の五分間停車のあたりから、窓の外を見てきょろきょろしはじめる。
この列車はどこへゆくのかとあわてだす。
もしそんな乗客がいたらみな吹き出すに決まっている。
その無知な乗客を哀れむに違いない。
ところが人生列車は全部の乗客がそれなのだ。

 これは、作家吉川英治氏の自叙伝『忘れ名残の記』に記されたものです。
 人の一生というものが乗物に乗って揺られていることに共感を覚える方も多いことでしょう。
 私はこの「人生列車」をさらに観察してみることにします。
 行先のわからない私の隣の女性が色々と親切にしてくれます。やがて私たちは一緒に旅をすることにしました。やがて、家族が増えて「一人旅」ではなくなります。その家族のために、あれこれしているうちに車窓の景色も停車駅も気にしていられなくなります。
 やがて「無知な乗客」たちとも楽しく歓談するようになり、車内は賑やかに楽しくなっていきます。
 しかし、その乗客もひとりまたひとりと姿が見えなくなってきて、行先がわからない、降車駅もわからない私は大きく苦悩します。
 このような風景のなかにいたらあなたはどうするでしょうか。そうです、誰かに聞くのではないでしょうか。しかし、誰でも良いというわけにはいきません。
 さて、遠い昔に比叡山でご修行されていた親鸞聖人は本当に救われる道を探しておられました。多くの碩学にも会いましたが、心が晴れることはありませんでした。
 29歳の時に法然聖人に出遭われ、専らお念仏することにこそ救われるわが身であることを教示されました。それはこれまで抱いていた「生死出づべき道」についての邂逅でした。
 「生死出づべき道」というのは、生きることも、死んでいくことも、同じように尊くありがたいこととして受け止めていける道です。
 私たちの乗っている列車は終着駅が終わりではなかったのです。

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