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蓮如上人の御生涯25
「山科本願寺建立(1)」

 蓮如上人は、出口の地にあって、新しい本願寺の建立を目指されていたよ。その上人のもとに、文明9(1477)年、近江金森の善従(道西)が訪ねてきて、「京都の東、山科によい場所があります」と、山科に本願寺を建てることをすすめたんだ。
 山科は、東・西・北の三方が山にかこまれ、南に開けた盆地。京都に隣接して、本願寺門徒の多い近江にも近く、広く見るなら北陸・東海・畿内南部に広がった門徒地域の中心になる。そんなことから、本願寺建立場所の候補になったんだ。
 山科七郷の「大人(おとな・長)」、海老名五郎左衛門が山科の地を案内すると、蓮如上人、たいへん気に入られたそうだよ。五郎左衛門が土地寄進を申し出て、ついに蓮如上人はこの地に本願寺を建てることを決断されたんだ。
 でも当時は、お寺を建てるには、手続きも簡単ではなかったよ。この地の領主は醍醐三宝院で、その許可を得ないと寺院建立はできなかったの。幸い、三宝院の門主は将軍義政の子で、蓮如上人の四女妙宗は義政に仕えていた。さらに、義政の妻は日野富子だったんだけど、日野家といえば、親鸞聖人出身の名家。本願寺とも関わりが深かったため、三宝院領内に本願寺を建てるための根回しはつつがなく行われたよ。
 蓮如上人はさっそく山科に移り住み、その準備に取り掛かられたよ。文明11(1479)年に寺地の整地が終わり、庭園も仕上がった。翌文明12年、2月より御影堂の工事が始まったよ。柱は河内の門徒衆が吉野の木材を寄進し、屋根の板は大津の門徒衆が整えたんだ。3月末に棟あげ、その後内装を行い、この年8月末に御影堂は完成したよ。わずか7ヶ月で作り上げちゃうなんて、ものすごい突貫工事だね。
8月28日、堂内の仮仏壇に宗祖の絵像が安置され、蓮如上人は喜びのあまり、その夜は堂内にこもって一睡もされなかった。この時のようすを御文章に、
 「この夜は、愚老(蓮如上人)もおなじくこもりぬれば、誠によろこびは身上にあまれりて、祝着千万なり。(略)念願せし事の、今月今夜成就せりと、うれしくも、とうとくも思い奉る」と記されているよ。

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