蓮如上人の御生涯27
「山科本願寺建立(3)」
蓮如上人が建立した山科本願寺は、立派な伽藍もさることながら、それをとりまく寺内町の整備が歴史的に注目されているよ。
寺内町は3つのエリアに分けられていて、中心になるのは御影堂・阿弥陀堂・寝殿などの主要施設のあった「御本地」、その外側に家中としての一家衆や下間氏の屋敷、本願寺に勤仕する僧が住む「内寺内」、その周りに町衆の居住区の「外寺内」に分けられていたんだ。外寺内には諸国からの参詣人や、さまざまな職種の人、絵師、手工業者、餅・酒・魚などの食料品や日用品の商人が集まり、とても賑わっていたよ。
その範囲は南北約1000m、東西約800mに及び、中納言鷲尾隆康の書いた『二水記』には、「寺中広大無辺、荘厳ただ仏国のごとし。在家また洛中にことならず、居住の者みなおのおの富貴」と、山科本願寺の繁栄ぶりが記されているよ。
特徴的なのは、御本寺・内寺内・外寺内の各エリアとその外周は土塁や堀で仕切られ、環濠城塞都市として発展していったこと。かつての吉崎御坊の寺内町を原型とし、その完成された姿がここ山科本願寺だったとする研究者もいるんだ。いつ、誰が攻めてくるかもわからない戦国時代ならではの都市づくりだったんだね。
町衆たちは「地下衆講」という自治組織を作り、諸国の代表として上洛した番衆とともに、本寺や寺内町の守護にあたり、時をつげる鐘や太鼓、風呂なども設けられていたんだよ。
かつて、琵琶湖で比叡山衆徒と闘った堅田門徒、また吉崎御坊、そしてこの山科本願寺でも、自治組織が立ち上がったよね。浄土真宗の教えには、それまで虐げられるばかりだった庶民・農民たちを開放させ、立ち上がらせる力があったんだ。
これは特筆すべきことで、日本史の中では他に例のないことだよ。権力に従うほかなく苦しめられてきた多くの人たちが、浄土真宗の教えによって、来世の救いを信じるとともに、この世の中でもまた力強く生きる道をいただいたんだね。


