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蓮如上人の御生涯29
「実如上人への継職」

 山科本願寺を建立し、仏光寺教豪等の帰参もあり、さらに加賀では本願寺門徒が一揆に勝利し力をつけるなど、本願寺は大発展をとげたんだ。蓮如上人は延徳元年(1489)、門主の譲状をしたためられて五男の実如上人に与え、自らは山科本願寺の南殿に移られたんだ。
 『蓮如上人・空前聞書』には、「延徳元年八月二十八日、南殿へ御隠居の御事とて御うつり候。その夜のたまはく、功なり名とげて身しりぞくは天の道とあり。さればはや代をのがれて心やすきなり。いよいよ仏法三昧までなりと言へり」と、その様子が記されているよ。
 このとき、蓮如上人は72歳、実如上人は32歳の若さだったんだ。たくさんの兄弟・姉妹を統率し大教団を背負って立つ自信はなく、再三にわたって固辞されたよ。父親が偉大すぎると、その子供はつらいよね。蓮如上人は「これほど申して了承しないのは、世間にしては親不孝、仏法においては師匠の命にそむくことになる」と継職を強くすすめられたよ。
 なお実如上人が「自分は無学であるから、天下の御門徒を教化していくことはできない」とためらっていると、そんな心配はなく、かえって無学の方がよい、御文章を示しながらこれによって人々を教化するようにとすすめ、やっと継職が決まったんだ。
 隠退宣言をした蓮如上人だったけど、「代をのがれて心やすく」過ごせたのかな?そういうわけではなかったみたいだよ。
 先にあげた『空前聞書』には蓮如上人のご移動についても記されているんだけど、明応五年(1496)には、1月に富田(大阪)→山科、2月に山科→富田、3月に堺→山科、4月に山科→堺、5月に山科→近江堅田(滋賀)、7月に山科に上洛と、毎月のように遠方に出かけられているんだ。
 このとき蓮如上人は82歳。あの時代だから、今よりよほどご高齢だったはずだけど、精力的に活動されていたんだね。
 それだけでなく、御文章の制作も名号の染筆も衰えることなく続けられたよ。隠退とはいえ、「まことに一人なりとも信をとるべきならば、身を捨てよ」の教えのとおり、仏法繁昌のため命をけずって奔走されたんだ。

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