与える応援団
私の高校卒業後の進路は父に猛反対されていました。そこで、バイトと奨学金でなんとかなり、学費が安い国立の看護学校にしました。親に学費を頼まない代わりに自分の自由にしていいと思い上がっていましたね(笑)若気の至りというヤツです。
ところが医学書購入に何十万円も一括でかかるのです。教科書がなければ学べませんから、父に頭を下げました。嫌でしたよー。働いて返すから借して欲しいと言いました。父は入学祝いだと言いましたが、これまた若気の意地があり、働いて全額返したんでした。
この時点で、いや、実はそのかなり前から、父は反対派ではなく応援団になってくれていたのですが、それがわかったのはそのずっと後でした。
子どもが進む道は、よほど危ない事でない限り、反対しないで応援団(できれば団長!)になろうと思っていました。それでも、子沢山故に経済的に難しいからと諦めてもらったパターンもあり、100%子どもの希望通りに、というのは難しい事でした。
金銭的な事に限らず、時間も愛情も子ども達には与えてきたつもりでしたが、果たしてそれはどうだったのだろう?と今考えています。私が出来る範囲で与えたつもりでも、子どもの側からしたら、それは親として当たり前の事であったり、与えてもらったけど足りなかったり、あるいは今は足りてるから要らなかったのに、という事もあったかもしれません。
まだ十代の頃、人生は与える事で築かれる、という誰かの名言を読んだ時、見返りを期待しないで与える事ができる大人になりたい、と思ったのです。
ですから子どもにも見返りは求めていません。うちは全員男子ですから、お嫁ちゃんにあげるもの(私も義母から頂きましたし)として育ててきましたし、自分の老後や介護の為に産んだわけではありません。私の場合は子を授かった方が人生が豊かになるから授かったのでしょうから、子が大人になったこれからも応援団でいようと思っています。
あの時、見返りを期待しないで与える大人になりたいと思いましたが、本当は大人にならなくても、それから今に働けなくなっても、与える事はできるんですよね。優しい言葉をかけたり、にこやかな笑顔で接したり、体を使って奉仕をしたり、相手を思いやる気持ちを持つ事は、お金や財産がなくても誰もができる事ですもんね。


